校長ブログ
言葉の重み
高市首相の国会での答弁がきっかけとなって、日中関係がガタついている。しかるべき立場の人の発言は本当に重いものだと改めて感じる(首相の発言についての僕の意見はこの場では述べません。悪しからず)。特に政治家、著名人などは、発言の前後の文脈など関係なしに“切り取られる”ことも多々あり、言いたいことを正しく伝えるのに必要以上の慎重さと工夫が求められているのではないかと思う。
実は、これは著名人に限った話ではない。“しかるべき立場の人”と書いたが、これは相対的な関係性によるものであり、政治家は主に対国民という関係性の中での立場であり、上司⇒部下であれば上司、監督⇒選手であれば監督、親⇒子どもであれば親、教員⇒生徒の関係であれば教員が“しかるべき立場の人”に当たる。この時に“しかるべき立場の人”から発せられた言葉は、本人がそんなに気にせず何気なく発したものであっても、往々にして聞いた方が重く受け止めているケースが多い。しかもその時に聞いた方が置かれていた状況によっては、“切り取って”理解しているかもしれないし、言葉の使い方を間違えると大きな誤解を生んでしまっているかもしれないのだ。そういうミスコミュニケーションの経験は、誰もが少し思い起こすだけでもいくらでもあるのではないか。
それだけに、“しかるべき立場”として話す場合には、よく考えて喋らなければいけないなと思うのである。
今でも覚えているのだが、僕が小学校に入学する数日前に、普段はうるさいことを言わない父親が「小学生になったら予習をしろ」とアドバイスをしてくれた。その父親はすでに亡くなっているが、生前そのことを聞いてみたら全く覚えていなかった。ただ、僕の心にはなぜか深く刺さり、お陰で小学校の6年間は優等生で過ごすことができた(笑)。ありがたいことだ。
逆のケースもある。僕はこの学校に来る前に、外部指導員としてある高校の野球部の監督をやっていたのだが、その卒業生が大学でも野球を続けてこの秋で引退となり、大学野球部のブログで自身の野球人生の思い出を綴っていた。その中で、高校時代の監督ということで僕のことを書いてくれている箇所があり(実に嬉しいことです)、“朝木監督から言われたこと”を紹介しているのだ。3つぐらいあった中のうちの一つが、僕の中ではかすかな記憶として残っているものの、彼の心にそこまで刺さっているとは夢にも思わなかった。
翻って、現在の職場!中高生の人生を左右するかもしれない、いや、間違いなく多くの生徒の人生を決定づけている言葉が飛び交っている場所だ。教員が言葉を発するときには、余程注意しなければいけないし、洗練された言葉を選ばなければならないのだと思うのである。教員って、本当に責任の思い、大変な職業だなと改めて思う。とは言え、あまり気にし過ぎると何も喋れなくなってしまうだろう。大事なことは、常に真剣に自分の全人格をぶつけながら生徒と接することなのではないかと思う。僕も頑張らなければ!
ちなみに、中高生時代の僕は先生の話はほとんど聞かない生徒だったので(笑)、記憶に残っている言葉はほぼない。ただ、中学の時の先生が言った何気ないひと言が僕には妙に引っ掛かり、その言葉には絶対に逆らおうと決心し、それが功を奏した経験がある。今では、僕を奮い立たせてくれたその先生に感謝している(笑)。