校長ブログ

2026.1.3

2026年を大きな節目の年に!

新年あけましておめでとうございます。

 

様々なことがあった2025年が幕を閉じ、2026年が始まった。毎年そうだが、世の中の変化は激しく、国内外の諸課題は山積している。この厳しい社会を逞しく生き抜く若者の育成が我々教育業界には求められている。今年も気を引き締めて事に当たろうと思う。

こういう立場になったからという訳でもないが、最近の社会課題を扱った本をつらつらと読んでいると、政治改革や経済政策と並んで必ずと言って良いほど「日本は教育改革が急務」という内容の論説が目につく。曰く、教室での集団指導ではなく個別最適な学びが必要、子どもの創造力や主体性を伸ばす教育を行うべき、授業では教員が教え込むのではなく生徒同士が議論することでより深い学びを得ることができる、正解を求めるのではなく生徒自らが問いを立てる力をつけさせることが必要、探究活動が大事…等々。社会のあり様に鑑みればどれもその通りだと思うし、反論の余地はほとんどない。我が国の識者や学者が述べていることなので、それは間違ってはいないだろう。

こうした動きは徐々に広がってきていると思うが、それでも重要だと言われている割には遅々としているというのが僕の実感だ。これには大きく2つの原因があると思う。

一つは、学習指導要領の存在だ。これは、各教科についての履修の目的や標準的な履修単位数などについて定めている、学校にとっては憲法のようなもの。さすが文部科学省だけあってこの内容は実によく練られており、文句のつけようがない。ただ一点だけ言わせてもらえば、10年間改訂がないということ。今の高校の学習指導要領は2022年4月から適用されているが、同じ年の11月にChatGPTが世の中を一変させてしまった。学習内容はそうそう変わるものではないというのはよく分かるが、それでも経済社会の革命的な変化が起こっているのに、残り9年半同じ“憲法”が適用されるのは如何なものだろうか?

もう一つは、教員のスキルの問題。いや、別に問題ではなく、少なくともベテランの教員は、自身が教員免許を取るときに先に述べたようなことはほとんど想定されていなかったはずだ。ちょっと前までは、自分の専門の教科を生徒に解りやすく教えることができれば優秀な教員だったのに、今やそれだけでダメなのだ。いや、むしろ教え過ぎてはいけないということになっているのだ。昔、どこかの銀行の頭取が記者会見で述べていたが「プロ野球選手として活躍していたのに、ある時から急にサッカーの試合をやってくれ、と言われているようなもの」かもしれない。

世の中の識者や評論家と言われる人たちがもっともらしく述べていることを実践するのは現場の教員。上記のように、この上なく難しいことを求められている気もするが、時代に合わせて進化することは必要であり、2026年はその大きな節目の年になる気がしている。生徒ファーストの姿勢を忘れずに、頑張っていこうと思う。

 

引続き、横浜隼人の教育活動にご注目いただければと思います。今年もよろしくお願いいたします。

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