校長ブログ
ミスタープロ野球、逝く…
ミスタープロ野球、長嶋茂雄さんが逝去された。僕は子どもの頃からONを見て育った世代なので、脱力感が半端ではない(チームとしてはカープファンなのですが(笑))。これほど多くの日本国民に愛されたスポーツ選手はいないだろうし、日本の野球界が長嶋さんを中心に形作られてきた、と言っても過言ではないと思う。
ここ数日は、テレビもSNSも追悼番組、追悼投稿一色になっている。その影響力を日本国中に振り撒いていたのだということが良くわかる。追悼場組では、野球選手としての功績の数々の他、その人柄を表すエピソードなども多く紹介されていて、そのほとんどは以前からよく知られているものばかりなのだが、亡くなってしまった今見ると実に切ない気分になる。
スポーツ界のみならず国内外の偉人、著名人は多くいるが、追悼番組を見ながら「そんな中でも長嶋さんだけは特別な存在なのではないか」と強く思った。どういうことか!それは、「あんな風には絶対になれない」と思わせる人だったのではないかということ。もちろん、他の著名人のようにだってそうそうなれるわけはないのだが、それでもその方のそれまでの人生の軌跡、努力の量などを見聞きすると、「それは、すごい。とてもそこまではできないけど、でも少しでも近づけるよう目標にして頑張ってみよう」と思えるのではないだろうか。
長嶋さんの場合にはそれがない。野球選手としての技量がすごいだけであれば「必死に頑張れば、あれぐらいになれるかも」と目標にして努力することもできるが、その人柄、振る舞いなど、長嶋さんが放っていた異次元のオーラを前にして、決して目標にはならないのだ。目標にならないどころか、「どんなに努力しても、あんな風には絶対なれない」と思わせる存在なのであり、その生き様を誰一人として学ぼうとしたり、真似しようとは思わない、とてつもない“偉人”なのである。だからこそ性別や世代を超えて誰からも愛され、(僕のように)ジャイアンツファンでもないのに野球ファンみんなから愛される人だったのではないか。
爆笑エピソードと共に話題になることの多い長嶋さんだが、実はその一つ一つは、長嶋さんの真骨頂である強烈な“プロフェッショナル魂”によるものであるのではないかと考えている。野球人としてファンの前でいかに魅力的なプレーを見せるか、ということをずっと考え続けた結果が、時に爆笑エピソードに繋がっているのではないかと思う。爆笑の前には“真のプロフェッショナル”としての思考があるのだ。
決して真似できない偉人であり、僕ごときが甚だ僭越ではあるのだが、そのプロフェッショナル魂に関しては、ほんの一部だけでもお手本にさせていただけないかと考えている…
長嶋さん、ありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。